「歯医者で治療してからおかしくなった」とおっしゃる方の中にはかみ合わせが低い「低位咬合」の問題を抱えている場合もあります。
顎関節とかみ合わせの関係について解説しながら、見落とされやすい「顎関節のズレ」についてお話しします。
噛み合わせが気になるという方は大勢いらっしゃいます。もちろん人によって原因は様々、患者さんごとに原因を確かめて治療に当たります。しかし残念ながら「歯医者で治療してからおかしくなった」とおっしゃる方は実は少なくありません。新しいクラウンをセットしてからおかしくなった、咬合調整したら余計にひどくなった。どの歯科医師も患者さんに良くなってもらおうと頑張っているのに、なぜこのような結果になってしまうのでしょう?
いうまでもなく噛み合わせには適正な高さがあります。前歯、臼歯すべての歯がバランスよく噛み合う状態が理想です。新しい修復物は他の歯と高さを揃えてからセットしますし、天然の歯列でもバランスを整えるために削る「咬合調整」を行う場面も少なくありません。
その時に使用するものが咬合紙です。歯医者さんは「はいカチカチ噛んでー」といいながら患者さんに赤と青の薄い紙を噛んでもらって、高さのばらつきがないかを確かめます。
通常は0.04mm(40ミクロン)程度のもので十分なチェックはできますが、より精密な仕事をするときは0.01mm(10ミクロン)ほどのフィルムを使います。
歯の表面に赤青の色をつけて接触の関係を確かめます。すべての歯に赤マークが均等につき、臼歯には青マークがつかないことが一つの理想です。
通常歯科医師は、そのマークを見て良し悪しを判断します。すべての歯にできるだけ理想的なマークが付くように処置をしますが、それにもかかわらず、治療後に不満や不具合が生じてしまうことがあります。歯科医師がゴールとする咬合と患者さんの心地よさ、この両者が一致しないのです。歯科医師がこれでいいと思っても、患者さんは「なんかおかしい」という感覚が消えません。咬合紙のマークで評価する噛み合わせ、それが本当に正しい高さなのかどうか?
実は咬合紙のチェックだけではわからない、もっと重要なポイントがあるのです。
顎関節の位置がずれていないか、ということが噛み合わせの評価で大切なもうひとつのポイントです。
下顎の骨(下顎骨)は口を閉じさせる筋肉(閉口筋)でぶら下がっています。顎を閉じる筋肉で下顎骨を引っ張り上げれば下顎骨は上顎骨に近づき、そして歯が接したところで下顎骨の動きはストップします。
噛み合わせの高さに問題がない人はカチッと噛んだ瞬間、顎関節(正確には顆頭)が定位置に収まり全くズレません。安心できる状態です。
ところが、上下の歯を接触させた瞬間、顆頭の位置が安定せずに思いがけない方向にズレしてしまう方がいます。カチカチ噛むたびに顎の関節が不安定にグラつくのです。噛み合わせの接触の関係に原因がある可能性が高いです。噛み合わせ診断の重要なポイントは、顎を閉じて歯が接触したその時、顎関節がズレていないか?ということです。
臼歯の「噛み合わせの低さ」が大きな問題の出発点になる場合があります。
単純に考えて、噛み合わせが低いと上下の歯は接触しません。咬合紙をいくら噛ませてもマークはつくはずないのです。マークがつかなければ歯科医師は噛んでいないという状況を客観的に判断できるので、問題解決のためのアイデアはすぐに浮かびます。しかしなぜか、噛み合わせが低すぎても上下の奥歯がしっかり噛み合うことがあるのです。なぜそんなことが起こるのか?
その理由は、噛む瞬間に顆頭が上方へズレる現症が起こるからなのです。
噛み合わせが低いと噛むたびに顆頭が頭蓋骨側にめり込む動きをします。すると関節円板が過度に圧迫されるようになります。関節円板は顎の動きを滑らかにするために存在する組織ですが、それが過剰に圧迫され続けると、変形したり位置がずれたり、最悪穴が開いてしまったりもします。
人によってはその不快感は相当なものです。しかし患者さんはその不満をどう表現すればいいのかわかりません。「顎関節周辺が窮屈な感じ」「顎の筋肉が常にこわばっている」的なことをおっしゃるときもありますが、表現の仕方は人それぞれでかつ漠然としています。
そもそも顎関節の様子は目で確認できません。歯科医師は口腔内をチェックしますが、咬合紙のマークでは上下の歯はちゃんと噛んでいるので問題はないように思います。となると、噛み合わせのどこにどんな問題があるのか?歯科医師は途端に霧の中に立たされるのです。
顎関節症の診断には、レントゲンよりも病態を把握しやすいMRI検査の方が有効です。しかし状況がはっきりわかったとしても、顎関節症になった原因の特定はそれほど簡単ではありません。つまり「顎関節症」という診断を下したとしても、原因が「低位咬合である」、もしくは「他の何かである」と特定するためには特殊な診査と検査が必要になります。
咬合の違和感は、歯科医師でも原因を掴むことが非常に難しい場面が多くあります。噛み合わせが高すぎることによって生じる問題は目で確認しやすく、解決方法も比較的単純です。
一方で低い噛み合わせが原因となっている問題は、原因を特定することが非常に難しく、顎関節(顆頭)の位置や動きも視野に入れて歯の接触の評価しないとなりません。
噛み合わせが低い方の場合、削る調整は状態を悪化させるだけです。原因はわからないけど「とりあえず削って様子を見ましょう」ということが命取りになってしまうかもしれません。
そもそも歯は加齢とともにすり減るので、健康な人であっても噛み合わせの低下は仕方のない経年変化です。だからといって高齢の方の全てが顎関節症になるわけではありません。
どのような病でも、リスクと許容範囲には大きな個人差があります。もともと顎関節症を発症しやすくする骨格的に不利な要素を遺伝的に抱えている方もいるのです。
目の前のむし歯を治すことにしか集中できない(流れ作業になりがちな)保険診療システムの中では、「この患者さんの噛み合わせ問題の発症リスクがいかほどか?」と配慮する余裕はなかなかありません。
患者さんの噛み合わせの全体像を事前に把握するべきなのですが、リスクの程度を確かめることはほぼ不可能です。
通常の修復治療が噛み合わせ問題の引き金になりうることは、残念ながら否定できません。